「私は精神病です」と公表して活動するという事は、言い換えれば、憲兵がうようよの中、赤といって迫害されていた社会主義者が、街頭で演説を始めるようなものだ。それが出来る人が多数いるという事も(僕だ!)、出来ない事も、精神病人の特性というのだろうか? 一般の人なら「そんな事わざわざ公表することじゃない」というのが常識だ。ましてネットの中でだ。だから僕もわざわざ仲間に実名活動を勧める事は決してない。しようかなという人がいれば、まずそのリスクを知らせる。僕の中でも常識に近いからだ。
それは精神病が恥じるべき病気だと思うからではない。精神病者らしき人の世間を騒がす犯罪のせいだけでもない。地域での一般の人、近所のおじさんおばさん、家族や親戚の中にある、歴代続きじわじわ浸透して残っているキチガイに対する差別意識のせいである。どうもキチガイは精神病者だというのが常識のようだ。
報道される犯罪等は、たまたま、「ほらやっぱり」と、その意識を継続させる役割しか持たない。
もともと民の中にある差別意識が、諸悪の根源なのである。
差別について、これはもう良くないという事は最近の世代なら教育されているはずであるが、教育が根付いていない人や、教育されていない世代と共存している社会なので、まだまだこの問題は現在の問題として続いていくのである。
「精神障害者はキチガイとは違う」「僕は精神病にはなったけどキチガイになった覚えはない」などと僕が言うとキチガイを差別しているという事になるのだろうか。
そもそもキチガイとは差別用語なのだから、差別されるべき対象が存在する事自体が間違いなのだ。キチガイなど存在しないという事になるのか?
「人殺し」は差別用語ではないようだ。
どうやら犯罪者は差別して良いといういうか、犯罪者は隔離して良い場合によっては殺しても良いというのが常識のようだ。
精神障害者の99%は犯罪を犯していないので、隔離すべきではない。差別すべきでない。
残り1%未満のうち、10年に一人現れるかどうかの真の哀れむべき犯罪者をキチガイと呼んであげたらいい。テンサイと紙一重だそうだから、そんな割合だろう。
理由の無い差別によって、病気になった人が堂々と治療やその他のサービスを受け、周囲から理解されねぎらわれて療養する事が困難になっている。それは病気を更に重症にし、医療や福祉にかける税額や人的資源の無駄使いという形で差別をする社会にそのままツケになって帰る。
精神病患者が障害者に分類される時に、認められる障害は一般の生活困窮者が持つ障害とそう大差ない。しかし精神病患者が例え障害者と認められるかどうかによらず、抱えている障害のうち一番大きなものは、精神病患者の身体や精神の中にある訳ではなく、一般社会、一般の人、僕の中にもあなたたちの中にもある差別という心の障害であると言っておきたい。
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