そうでもないんです。
 今心はニュートラル。
 でもそれじゃまだ走れません。
 歩いていきます。
 
 
 底なしのうつ状態でした。
 それでも何とかやってこれたのは、妻や娘のおかげです。

 娘はこの4月から保育園へ連れていくようになり、週2回のゴミ出しヘルパーも継続して何とかやっています。作業所へも毎日顔を出しています。
 
 でもそれだけで一日が終わる。
 
 妻は、家の事を全部やってくれて、僕は家ではほとんど寝たきり状態でした。
 
 それでも生活がいっぱいいっぱいで3か月近くネットから遠ざかっていました。
 
 そういう選択肢はないのだよとわかっていても、色んな悲しみが理性を追いやって、つい死にたくもなる毎日でした。
 
 はたから見て幸せそのものの生活なのでしょうが、鬱だとそれが見えなくなるのです。
 
 娘が保育園に行きたくないと泣きながらしがみついてきて、園でそれを無理やり引き剥がすだけで泣けてくる。
 
 今週はそんなことやあんなことや色々あったので、意図的な薬の飲み忘れや妻の処方の変更もあったりで、発病しかけてさんざんでした。
 それでも娘が保育園へ明るく行ってくれるようになったのが救いです。
 
 パキシルで投身となってしまったので、抗鬱剤は出してもらえず、仕事でどうしてもテンションをあげる必要がある時は、通常薬で調整していました。飲む時間をずらしたり、飲まなかったりです。
 しかし薬をちゃんと飲まないとまた2か月くらい入院してもらう事になると妻が言われたそうで、今週からははきっちり処方通り飲んでます。
 
 でも苦しいことがあって楽しいこともある。何か鬱から抜けでたような状態。
 今、眠剤は処方されていないので、家であまっていたロヒプノールをゆうべ夫婦して飲みました。
 10時に眠剤を飲んでねて、ふらふらになって、2時に起きて、おーそうそうこんな感じに生活してたんだなーと思い起して日記でも書いてみようかという気になりました。
 
 火曜日に、僕が食欲がなくて夕飯が食べれず、喧嘩して怒りがいつまでもおらさまないと、妻は一人で病院へ行って、リスパダールの液剤を一つもらって帰ってのみました。
 幸い一包だけで、怒りはすーっとおさまったみたいです。
 
 しかしその後の睡眠障害。
 
 ロヒプノールは、よく寝れるが、一旦目が覚めたら僕の場合2度寝ができない。
 妻はまだこの時間は熟睡している。午前中二度寝している模様。
 
 まぁ、今日は久し振りに日記でも書けよと神様が起こしてくれたのだと思う事に。
 
 この日記何度も中断しているのですが、たいがいそういう時は抑鬱状態でした。
 そんな感じの近況で、毎日日記の更新はちょっと無理かも知れませんが、何とか発起して日記は続けたいと思います。
 
 
 

コメント

ひろすけ
ひろすけ
2007年6月15日5:09

苦しいことがあるから、楽しいことがものすごく楽しい。
楽しいことばかりなら、何が幸せかわからない。

うちの長男、保育園では5年間、朝は泣き通しでした〜〜

けんち☆
けんち
2007年6月16日5:41

最初の子ってやっぱり泣く子が多いみたいですね。
うちは、小児科医から、「3歳にしては甘えすぎ、一人っ子ですか」とズバリ言われました。

毎日ステーキや焼き肉を食ったら太るし飽きるって事ですか(^−^)
苦しい事はちょっとだけ経験してみるだけで十分じゃないですか、あとは毎日楽しく生きる、あー早くそんな生活がしてみたい。いや、今でも心の持ちようで可能なんだけど、精神状態がよくないんだなーやっぱり。

娘が泣いて保育園行かないという時、あーもっと早くから保育園に通わせればよかった(障害者世帯はそれが可能)とか後悔したんですが、そーですか、5年保育でも泣くのは泣くんですねぇ。そりゃ大変でしたね。

いつか辛い今も、笑い話にしたい(水穂さんの詩)

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