妄想も自由だ〜

2007年11月6日 日常
 
 今日は、午前中診察に行って、眠前にトリヘキシン錠2mg、1錠を追加して貰った。
 ルジオミールを始めてからさえない日が続くが少なくとも数週間耐えてみて、結論を出そう。
 
 午前中、僕がいない方が仕事がはかどるようで、午後に作業所に戻るとキタピィの仕事は終っていた。
 
 中西さんの妄想(本人にとっては現実問題だが)の話を聞くと、自分も似たような戦いに巻き込まれた事があったので、つい意見をしたくなるが、僕自身今も妄想の支配下に生きているので、あまり言えたもんじゃない。
 
 ま、薬は医者のいう通りに飲んだ方がいいとか。自分の判断で減らしたりすると、もっと苦しい状況が待っているかも知れないとか。
 自己責任で、チャレンジして、緩解しても、仕事が出来る人は、その間バリバリやりすぎて、再発のリスクは大きいとか。
 
 まぁ、中西さんは、それを知った上でチャレンジしているので、何も言う事が無い。
 
 考えてみれば、僕も好きに生きてきたし、その結果がどうたらこうたらとか後悔した事は無い、本人の意志を尊重した上でサポートできる事があればサポートすれば良い。
 
 
 だが、普段、あまり人に意見を求めない中西さんが、今日は、どうなんですか? そうなんですか? と聞いてきたので、肯定も否定も出来なかった。かなり世間(組織?)に対して怒っていた。彼の問題に僕は何の意見も持たないので。常識的な答えなら知ってる筈だし、常識を超えた部分も知ってる筈だし、現実的に、今社会をおかしくしているのはメディアの問題があるから、昔は盗聴機とかが問題だったが、今はアカシックレコード(残念ながらヒトが作ったものではないが)にアクセスできるヒトが出始めたようなので、僕の妄想はもっとやっかいな事になっている。
 
 僕の妄想に比べたら、中西さんの言う事は、現実的で正しいように感じる。信仰と同じく妄想も自由だ。
 ただ僕が認め、中西さんがそれを認めたところで、世間はやはりそれを妄想と言うだろうことを、我々は知っている。
 
 
 僕の妄想は、発表できるだけの根拠を持たないので、あれこれ考え悩ませられ、現実的に苦しめられているとしか、既存の組織を誹謗中傷する事になるので、言えないが、人間誰しも、信じることだけが真実であり、信じられない事は虚言として暮らしていて、不自由を感じていない。
 
 そこに不自由を感じるから障害者と呼ばれるのだろうが、たとえ障害者でも、地道に生きてさえいれば、妄想も自由な筈。
 
 
 時に激しく怒りを感じるが、実際、妄想に救われている部分も多々ある。
 
 
 妄想無しでは生きられない。
 
 

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