全国精神障害者団体連合会全国大会
2004年9月3日 お仕事今日は全精連の大会が福岡国際会議場であった。
全国から千人か二千人かもっとか分からないが会場は満員だった。
北九州からは大型観光バス2台満席で参加。
僕は「当事者から見た社会資源と作業所のあり方」という固い分科会のコメンテーターだったのだが、あまりの人数の多さに、コメントは最小限に留めざるを得なかった。
テーマのせいかこの分科会は、当事者より支援職の方の方が多かった。
初めて会う人の意見に口を挟む勇気など、もともとなかったし、一人でも多くの人に発言して欲しかった。それで2時間のミーティングで自分の意見と、まとめのコメントで合わせても5分くらいしか僕は発言しなかった。
それでも全国の人の話が聞け、充実した2時間だった。
特に、当事者で運営している札幌のすみれ共同作業所の方の話に、とても共感した。
うちの作業所ウエンディも当事者で運営しているが、今まで、その先輩方の存在を知らなかったので、非常に力を感じて嬉しかった。
北海道なので簡単に遊びに行くという事は出来ないが、いつか行って交流したい。僕たちのやりたい事を何歩も先に歩んでらっしゃる。励みになるだろう。
それから、最近ある県では作業所という言い方でなく、地域活動所という名称で運営している施設もあるという事を知り、常々作業所のあり方に対して考えをめぐらせていた僕としては良い勉強になった。地域のサポートセンターというウエンディの方向性に少し自信が持てた気がする。
大会は明日もあるが、午前中のみなので遠いし欠席にした。
あと、今夜は懇親会で実はこれが一番楽しいしステージもありすごいのだが、予算と精神の負担のため、やむを得ず欠席した。
次回はどこであるのか知らないが、宿泊観光つきで参加してやろうと一緒に行った仲間と話した。
本来、こういう内容はエコログの方に書いていたのだが長期メンテナンス中という事なのでこちらに書いた。
あと、大会とは、関係無いが、最近日記やエコログをサボっていた理由は、作曲活動にある。
現在、遠方の仲間に詞を書いてもらって、それに曲をつける作業をしている。仕事そっちのけ。歌も彼女を中心に吹き込み、いずれCDにして大会や各種講演会で売って貴重な現金収入にしてやろうという野望であるが、近々拙サイト「けんちん汁」でも発表する予定なので、乞うご期待。
「私は精神病です」と公表して活動するという事は、言い換えれば、憲兵がうようよの中、赤といって迫害されていた社会主義者が、街頭で演説を始めるようなものだ。それが出来る人が多数いるという事も(僕だ!)、出来ない事も、精神病人の特性というのだろうか? 一般の人なら「そんな事わざわざ公表することじゃない」というのが常識だ。ましてネットの中でだ。だから僕もわざわざ仲間に実名活動を勧める事は決してない。しようかなという人がいれば、まずそのリスクを知らせる。僕の中でも常識に近いからだ。
それは精神病が恥じるべき病気だと思うからではない。精神病者らしき人の世間を騒がす犯罪のせいだけでもない。地域での一般の人、近所のおじさんおばさん、家族や親戚の中にある、歴代続きじわじわ浸透して残っているキチガイに対する差別意識のせいである。どうもキチガイは精神病者だというのが常識のようだ。
報道される犯罪等は、たまたま、「ほらやっぱり」と、その意識を継続させる役割しか持たない。
もともと民の中にある差別意識が、諸悪の根源なのである。
差別について、これはもう良くないという事は最近の世代なら教育されているはずであるが、教育が根付いていない人や、教育されていない世代と共存している社会なので、まだまだこの問題は現在の問題として続いていくのである。
「精神障害者はキチガイとは違う」「僕は精神病にはなったけどキチガイになった覚えはない」などと僕が言うとキチガイを差別しているという事になるのだろうか。
そもそもキチガイとは差別用語なのだから、差別されるべき対象が存在する事自体が間違いなのだ。キチガイなど存在しないという事になるのか?
「人殺し」は差別用語ではないようだ。
どうやら犯罪者は差別して良いといういうか、犯罪者は隔離して良い場合によっては殺しても良いというのが常識のようだ。
精神障害者の99%は犯罪を犯していないので、隔離すべきではない。差別すべきでない。
残り1%未満のうち、10年に一人現れるかどうかの真の哀れむべき犯罪者をキチガイと呼んであげたらいい。テンサイと紙一重だそうだから、そんな割合だろう。
理由の無い差別によって、病気になった人が堂々と治療やその他のサービスを受け、周囲から理解されねぎらわれて療養する事が困難になっている。それは病気を更に重症にし、医療や福祉にかける税額や人的資源の無駄使いという形で差別をする社会にそのままツケになって帰る。
精神病患者が障害者に分類される時に、認められる障害は一般の生活困窮者が持つ障害とそう大差ない。しかし精神病患者が例え障害者と認められるかどうかによらず、抱えている障害のうち一番大きなものは、精神病患者の身体や精神の中にある訳ではなく、一般社会、一般の人、僕の中にもあなたたちの中にもある差別という心の障害であると言っておきたい。
不眠と作曲活動で。
何か変な感じです。
病気で入院する前の数年間のような。
心臓に毬栗(いがぐり)が生えたような。
ちくちくした心の痛み。
悪い気分ではないけど。
空気がノスタルジックな音楽のようで。
右の耳と左の耳の間に細い金属の糸があるようで。
誰かと目を合わせるだけでそれが震えるようで。
うなだれててくてく歩いているような。
たぶん。
再発するのかも。
それもいいかも。
今度は平気なような気もするし。
怖いもんないし。
すぐまた退院できるだろうし。
誰に迷惑かけるでもない。
魂が成長する時の痛みだとイメージする。
殻が破れたらまた少し変わるんだと思う。
精神障害者という言葉は、お上が勝手に決めた言葉なので、「xxxx」っていう風に変えようよって全精連の大会で誰か言ってました。確か英語だったのでよく覚えてません。
で、僕なりに考えたのは、「精神再生者」という言葉です。Re-birth-erとかre-bone-rとか、英語ならかっこいい言い方があるかなと考えたのですが、どれも別に意味がある。リサイクルとサイコ(psycho)をかけて、リサイコラーというのを考えたのですが、そういう製品がありました(笑)。
で、精神再生者という固い名称に至ったのですが。僕は当分これを使っていこうと思います。今まだ再生中の人もいずれ再生するので再生者です。
物を修理したり構造を変えるためには、いったん分解しないといけません。精神が一旦ぼろぼろになるのは、新しく構造を変えてバージョンアップを行うためです。事実、僕らの仲間には病気になる前よりむしろ生き生きと暮らしている人が多いのです。
でも、分解したパーツを、一体誰が組み変えるのでしょうか。
調査中ですが、分解するのも組み立てなおすのも、自然の働きが大だと感じます。
自分の努力がそれをより美しくするかも知れない。周囲の協力がそれをより早く達成するかも知れない。
でも、基本的に、それは自然の中にある仕組みだと感じます。
人として成長する時。
様々なストレスが加わった時。
新しい役割をこなす必要が生じた時。
種としての進化の時。
まあ、色々な場合に、自分をバージョンアップするための再生の過程。
それが、精神病という現象ではないかと思います。
例え時間がかかっても、組み変わる力を人類は手に入れると思います。
理由もない哀しみが
波のように寄せてきて
胸のとこで砕ける
白い波頭が涙と混じって
キラキラと
彗星の尾のように
僕は走っている
くるくる同じところを
金魚鉢の中の
狭いグラウンドを
泣き虫けんちが
走っている
この気持ちを
「ケンチメンタル」と名づけた
寒うなりまんなぁ
心風邪気味
月が満ちて欠けるようにたんたんと
日々を過ごしております
作業所でずっと触ってるので
家帰ってまでパソコンする気にもなれず
日記さぼっておりました
帰ってからは
妻と話したりテレビ見たり子と遊んだり
あとは、睡眠をむさぼる訳ですな
創作もさぼっておりました
生きるのが楽で楽で
申し訳ないと思います
はい、仕事たまってます
はい、借金のこってます
はい、収入みこめません
はい、将来わかりません
でも何か楽で楽で
ぼさーっと過ごしてます
どんどん日々が過ぎます
あー、ほんとどんどん
妻は節約生活にはまってます
肉が食えなくても
親子ですすれる粥があれば
それは温かいもんです
貧乏慣れの妻で良かったです
貧乏好きの自分で良かったです
そのうち贅沢させてやるからな
などとは決して言わずに
今が一番贅沢な時なのだぞ
などとだまして使っております
今夜何か眠れないなーと思ったら
台風で昼まで寝ていたせいでした
神様は頑張ってる人が好きなんだ
とかいうセリフを昔何かのドラマで聞いて
その頃僕は、よっしゃ頑張ろうと
ぶっ飛ばしていた
でも今なんだか頑張れない気分
ブレーキから足が離れない
確かに応援したくなる人って
頑張ってる
作業所に来てる人も
何らかの支援を求めてきてるんだから
全員応援しないといけないのに
50パーセントの力で生きてる人より
持てる力ありったけ出してる人を
つい応援したくなる
休ませてあげた方がいい場合でも
つい背中押してみたくなる
頑張りすぎたから病気になったのよ
何てよく言われた
そういう人間は
病気も頑張って治そうとする
でも頑張ってダメだったら
泣くね
もう何にも頑張れない
でも頑張ってウマクいっても
泣くね
また何にでも頑張ってしまう
コケルまで頑張る
神様のレース馬じゃないんだから
もういいや
誰にも応援されなくても
皆にブーブー言われても
50パーセントで生きよう
残りはとっといて
いつか来るような気がするし
命がけの時が