昨日は、結局眠れなくて、そのまま月曜に突入したので、少しきつかった。
しかし、今朝は、ロヒプノール1錠で4時まで寝れた(6時間睡眠)。
土曜の診察で、院長に「一度目が覚めたら眠れないと言って追加眠剤下さい」と言ったら、一度に2錠飲まないで、眠れない時にもう一錠飲んで下さいと言われていたそうだ。
妻が記憶力いいので助かる。
僕はその時しゃべった事は、その時で忘れる事が多いのでね。
重なる時は重なる物になっていて、また一人お年寄りがなくなって、老人クラブ「猿喰新緑会」の礼状印刷の仕事とか入ったり、市へ提出するピアカン事業の書類作りとか、自分の債務整理をお願いしている関係で佐藤みずほさんに来て貰ったりとか、本当に忙しかった。
でも眠れたし、その日やるべき事はやったので、気分はすっきりしている。
水曜に保育園の説明会に行く予定にしていたが、急遽吉塚と飯塚へ行くことになったので、説明会は、僕の母と妻と娘の3人で行ってもらう事になった。
妻は不機嫌。家族3人で行くことを楽しみにしていたようだ。
何とか説明して、理屈では理解して貰ったが、心のもやもやは晴れないようだ。
仕事より家庭を大事にして欲しい。それは分かるけど、僕だって楽しみにしていたのだから、それにもっと言えば、「仕事も出来ない男に家庭を守るはずなど無いってことさ」。
というのは昔の話で、今は仕事できなくったって、家庭は守れる時代だけどね。
昔かたぎなもんでつい。
我が家の場合って事。
日曜は5時に気分よく目が覚めたので、久しぶりに小説(といってもショートショートだが)でも書いてみようかという程ゆとりがあったので、作ってアップしてみました。
↓
http://blogs.dion.ne.jp/kenchi/
お暇な方読んでみて下さい(例によって中途半端なんですが)。
それから10年振りくらいの同僚が年賀状をくれていたので、思い出して電話してみたら、昔の楽しい記憶が少し思い出されてきて、嬉しかった。
それから、カレーを作って、日曜くらい仕事を忘れてのんびり過ごそうと、妻と娘と公園へ行った。
帰りはビビンコして帰り久々の家族公園。
しかし叔父のうつ病がひどいらしく、電話しても、貯金が無くなるとしか言わず、なんか午後はそっちに気をとられた気分。
今度母と一緒に行ってゆっくり話を聞いてあげようと思う。
あーあ、日曜が終わった。
今週も忙しい。
2時に目が覚めて、頓服を飲んだ。
眠れるか。起きて早速仕事を始めるか、
忘れた事は仕方ないのか?
2007年3月3日 日常昨夜は7時間睡眠。
妻が言うには、今僕は再発しているらしい。
自覚症状は、朝方の幻聴と、夕方の疲労と仕事がはかどらない事だが。生きていくのに、別に大した問題ではない。
妻の状態は大分改善されて、相変わらず引きこもり気味だが、今は娘の子育てにどっぷりと浸って欲しいので、手伝える事は手伝って、後はそうっとしている。
ピアカウンセリング事業を北九州市から指名を受けて来年度から始めるが、ビア・ヘルパーの延長線上にもっていこうと思う。
作業所の緊急移行支援費が県から出ることになったので、ただ申請書を出すのがぎりぎり十三日までなので、そっちも忙しい。
4月の市とのヒアリングが恐ろしい。
NPOゼンセイネットの2006年半調査研究調査報告書の贈呈発送の作業が昨日終わったので、良かった。
そんな事やこんな事や、子育ての事から何から何まで話せる友達ができてよかった。
生きてさえいれば、いずれ問題は解決していく。
仲間がいるから、ガンバル。でも頑張りすぎて再発はこわいので、ギリギリになって頑張るよりも、ゆとりをもって行動していこうと思う。
さぁ、とにかく本当に忙しい時期である。
作業所では、仲間と語りあったり、共に作業したりするので、事務仕事は残業したり朝方とか頑張るしかない。
去年再発した時、門司駅前のミスドで昼食を取っていたら、妻がトイレにたった間に「なっちゃんがさらわれた〜」と大声を出して騒いだとの事だが、最近妻に言われたのだが、覚えていない。
昨日は突然重なって舞い込んだ仕事でちょっとパニックになって、夕方からあちこちに電話しまくった。
色々な人と話をして、落ち着きを取り戻した。特に山梨さんと理事長は頼りになる。
有り難うございました。
やはり人と話をする事は重要だ。
午後も作業所で、少ないメンバーと工程について話をするつもりが、突然セルフヘルプミーティングに変わってしまい(変えたのは僕だが)テーマは「自分ではどうしようもない壁にぶちあたった時、どうするか」。
様々な意見が飛び交い、結論は出なかったが(セルフヘルプミーティングに結論なんか出ない)。
何かしようとする度に壁にぶちあたるのが常の僕としては、逃げるよりも壁をぶち壊す事ばかり考えてしまう。だって逃げるにも逃げ道にも壁があるんだもん。
その影響か娘の夜泣きのせいか、今日は1時に目が覚めて、それから寝ないで、仕事をしていた(全くはかどらないが)。
追加眠剤処方されていないので、覚醒してしまったら、起きておくしかしかたない。
眠剤無しで寝たら、二度寝も三度寝も十度寝もできるんだけど、それはそれで苦しい。
そうそう、娘の保育園が決まったとの知らせが来たのも昨日突然で、いよいよ現実味を帯びてきた保育園の送迎とかつきあいとか、それもパニックの一因であった。
娘がきちんと、起きて、着替えて、楽しく保育園に通ってくれるか、心配だ〜。
チャイルドシート本当いやがるんだよね。
ま、いいか。
色々考えてもしかたない、今日も一日流されましょう。
今朝は6時まで眠れた。
朝起きて、タバコを吸って、家事をして、昨日発送した先の入力をして、あっという間にもう9時、9時45分に出勤する。
朝の時間は早い。
4月から娘を保育園に入れる手続きをしているので(返事がまだ来ない)、朝はますます忙しくなる。
作業所での事務仕事はもうあきらめて、残業してやる事にした。
他のメンバーがリラクゼーションしている中で、一人仕事をするのは辛い。
仲間と語り合う時間を大切にしたい。
昨日の作業所の運営委員会で、結局来年度も作業所のままで、地域活動支援センターへの移行は、あせらずゆっくりやりましょうという事になった。
事務仕事は楽になるので、それはそれでいいのだが、助成金の額が減るらしいので、経営的には嚴しい選択。
人間社会を生きるというのは、どんどん追い詰められるので(障害があるとか無いとかに関係なく老いというのがあるし)困れば困るほどドラマチックでそれはいいのであるが、つい、神棚とかスピリチュアルな方面へすがってしまう。
天国を信じてれば、恐い事など何も無いんだけどね。
なかなか行ってみた人しか信じられないんだろうけどね。
僕は統合失調症という病気で、何度も脳が死んでいるので、妄想という形で(当時はそれを現実と思い込んでいたので)天国とか地獄とか、そのままの形では無いけれどもハイアーパワーの存在を確信しているので、弱った時も怖くない。
ただうつ状態になると、とんでもなく沈んでしまうけれどね。
天国でまた、笑って会えるさ。
ISBN:4763181505 文庫 汐見 稔幸 サンマーク出版 2002/07 ¥530
金曜の夜は、眠剤無しで久々のナチュラルスリーピング。いっぱい夢をみた。
この土日は、娘を僕の実家へお泊まりさせる。
妻は、テープ起こし、僕は溜まっていた事務仕事を一気にやるつもりでいた。
妻は、午前中からはりきって仕事をして順調にこなしているようだが、僕は色々な想いが気になって、なかなか仕事に集中できない。
去年と同じようにやればいいだけなのに、それがなかなか出来ない。
行く道を全部ふさがれてしまったような気分。退くことも出来ない。
でもここを越えて行かないと先へ進めない。
現実が余りにも厳しく重苦しく感じてつい、スピリチュアルな方面へ逃げてしまう。
そこにいれば壁は無いから楽である。
しかし、仕事は仕事、食べていく為にきっちりやらねばならない。
妻が今起こしているテープは、北九州市小児保健研究会講演会、東京大学大学院教育学研究科教授汐見稔幸先生の「親がキレない子育て」〜自分が好きといえる親と子に〜、2、3度切れて、バシンとした事がある僕は、反省した。ちなみに妻はキレた事がない。娘は毎日キレまくり。
金曜の夜は、眠剤無しで久々のナチュラルスリーピング。いっぱい夢をみた。
この土日は、娘を僕の実家へお泊まりさせる。
妻は、テープ起こし、僕は溜まっていた事務仕事を一気にやるつもりでいた。
妻は、午前中からはりきって仕事をして順調にこなしているようだが、僕は色々な想いが気になって、なかなか仕事に集中できない。
去年と同じようにやればいいだけなのに、それがなかなか出来ない。
行く道を全部ふさがれてしまったような気分。退くことも出来ない。
でもここを越えて行かないと先へ進めない。
現実が余りにも厳しく重苦しく感じてつい、スピリチュアルな方面へ逃げてしまう。
そこにいれば壁は無いから楽である。
しかし、仕事は仕事、食べていく為にきっちりやらねばならない。
妻が今起こしているテープは、北九州市小児保健研究会講演会、東京大学大学院教育学研究科教授汐見稔幸先生の「親がキレない子育て」〜自分が好きといえる親と子に〜、2、3度切れて、バシンとした事がある僕は、反省した。ちなみに妻はキレた事がない。娘は毎日キレまくり。
土曜日に診察があって、ロヒプノール1錠が2錠に増えた。
おかげで、中途覚醒がなくなった。
一人では何も出来ない
朝、昼、夕の処方は変わっていないが、朝、夕、眠前と、飲むタイミングを変えてみた。
結果、午後も大丈夫になった。
今朝は、給与計算事務をしようと思って5時に起きたが、1時間ほどタバコを吸いながら考え事をし、新聞を読んだりしていたらもう8時になってしまった。
今月は23日が給料日。
普通の人は、給料日が嬉しくて楽しみなんだろうけど、経営サイドの僕としては苦しい。
昨日、父母に手伝って貰いながら、事務仕事を2時間ほどやり、給与計算の準備は出来ているので、また今日も父母に手伝ってもらいながら、給与計算を終えたいと思う。
妻の状態は安定してきた。
テープ起こしの仕事が入って、色々考えたが、また妻にやって貰う。小児医療研究会の仕事で、毎年の講演会のテープ起こしは、妻がやっていたので、子育ての勉強や病気のリハビリにもなるので、今の妻の状態で出来るか不安があるが、やって貰いたい。
その間、家事、育児は、僕が母に手伝って貰って、やる事にした。
集中力が無く、焦燥感と依存心が強くて。
今、一人では何も出来ない。
とほほ。
昨日は、夕方以降に先の事色々考えていたらパニックになり、頓服を飲んで、寝逃げした(これにも妻の了解がいる)。
しばらく寝つけずうつらうつらしていたら、ぱっと近未来の自分の顔が浮かんできた。まぁ夢なんだろうけど、心配無い、自信を持てというような顔をしていた。
僕の夢はよく当たるので(というか当たった夢しか記憶に残らない)これは心強い嬉しいことだった。
その後安心して眠る事が出来た。
状況はかなり嚴しい所にきている。
今、無理をせず、しっかり自分がやれる事をやらなければならない。
妻もルジオミールの効果がやっと出てきたのか、ふがいない僕を哀れんでか、仕事を手伝うとまで言ってくれている。
二人でやれば出来る。
今朝5時頃、「今日入院することになった」というメールがお京さんから入った。
お京さんは、ヘルパー事業でも作業所にとっても最重責メンバーであるから、大変な事である。
しかし、ヘルパー事業とか作業所とかはどうでもいい。彼女の命とは比較しようがない。回復を祈る。
連休の最後の日に、山梨さん夫妻と娘さん二人が、飯塚からわざわざ遊びに来てくれた。
「遊びに行くような親戚づきあいが無いから」との事だったが、僕たち障害者はいとこ同士のような親近感があるから、親戚のようなものだ。
子育ての事とか当事者活動の事とか色々話をした。娘たちがはしゃぎ回る中で。
今、平行して色々な事が起きている。
多くは困窮している。
全てを関係づけてしまうのが、僕の病気だが、全く関連の無い事は無い。
全て、根っこで繋がっている。
今の僕に出来ることは、祈る事と、一日一日精一杯生きていく事だけ。
金曜は、ロヒプノールを飲んで寝たが、夜中に覚醒してしまい、ロシゾピロン1錠、デパス2錠を追加で飲んで寝た。
土曜は、どこにも出かけず、ゴロゴロ過ごした。昼寝もした。
そして何も飲まずに寝た。途中何度も目が覚めたが、すぐまた眠れて、今日は6時に目が覚めた。
何故なのかサンタルチアの合唱団が脳内でエンドレスで歌い続けていた。
妻も昨夜は眠剤を飲まずに寝たそうで、熟睡とまではいかないが、半覚醒状態だが、長時間睡眠を取る事が出来たようだ。
そのせいか、今日は調子よく、散歩に行く元気もあった。
クエストまで散歩に行ったら、ちょうど絵本の読み聞かせにKBCのアナウンサーが来ていた。やっぱり本職は上手だなぁと、娘をびびんこして見せながら思った。
びびんことは、肩車の事です。
今日はゴミだしヘルパーに行ってきた。
片道30分くらいなので、歩いて行っている。健康のためと、ガソリン節約のため。
昨夜から事務局長・管理者が作業所に宿泊している。いい年した男が親子喧嘩で家出。
サービス提供責任者はインフルエンザ?。
しょうがない、皆障害を抱えている。
妻は朝一度起きてきたが、二度寝している。
今日は、2時半に妻を歯医者に連れていかねばならない。
ちょっと色々抱え込みすぎ。
愛機FMV-X8200のACアダプタが壊れて、大パニック、自分で直そうかとも考えたけど、富士通に電話して派遣修理を頼んだ。
交換した部品は210円と安いが、出張修理費が2万5千円。手痛い出費である。
たったひとつの部品を直すのに全部分解、富士通の人も、手順に従い黙々と分解していく。感心しながらも、横ではらはらしながら、ずっと一時間手に汗をにぎり見ていた。
僕も富士通で働いていた時期があり、色々話もしたかったけど、話かけて、手順を間違えられたら困るので、はらはらどきどきしながら、見ていた。外していくネジが30を越えるのか、くらい。丁寧にシートの上に並べていく。
家事に育児にヘルパーに作業所に、それから今回のようなアクシデント、一日一日が精一杯です。
相変わらず事務仕事はたまる一方。
一日一日片付けていくしかない。
明日はまたゴミだしヘルパー、ゴミだし自体は5分とかからないが、その後の状態観察、ピアカウンセリングと30分ほど話をして帰る。
歩いて25分くらいなので、極力歩いていくようにしている。朝の散歩にちょうどいいのでね。
妻が薬を変えてから、調子が良くない。
うつ状態は治ったが、気力、精神力で今ひとつ家事が手につかない様子。
何とか楽にしてあげたい。
ゴミだしヘルパーで早起き
2007年2月6日 トラ王金曜の午前中、急に降り出して、今年初めての積雪。
土曜に薬が変わって、少し楽になったかな(実は3日前からセレネース抜きの人体実験を自分に施してたんだけど)。
現実問題の苦しさは変わらないけど。
精神的に安定した感じ。
眠剤が減ったので、夜中何度も目が覚めるけど、何とか一定時間は確保。
結婚してすぐ、遊びに来てた子猫が住み着いて、うちの飼い猫になったのが、トラ王で、もう5年か6年になる。
猫は不思議な動物で、本当は何もかも知ってるんじゃないか。人の心理も思考も言葉も全部理解した上で、マイペースな行動を取っているんじゃないかと思う。
今こうして、幸せそうに僕の膝に乗ってるのも、単に一番暖かい場所だからということでなく、一緒に考えるのが好きだからという風に考える。
尻尾の振りも何かのサインか?
ご近所迷惑の夜泣きも、最近はしなくなって(単に僕が熟睡してるだけかも)かなり大人の雄猫の貫祿が出てきた。
でも、いつか帰って来なくなる日が来るんだろうな。
でもそれはイキトシイケルモノの宿命、その時パニックにならないよう、妻には常々言って聞かせている。
(妻)
各朝・夕 2回
ルーラン4 1錠
ドグマチール100mg 1錠
各眠前
レンドルミン錠 1錠
ルジオミール錠25mg 1錠
妻の場合、今、陰性症状(うつ・睡眠障害)がひどかったので、ドグマチールとルジオミールの追加となった。
(夫)
各朝・昼・夕3回
ルーラン錠8 1錠
ルバトレン錠 1錠
アーテン錠(2mg)1錠
ソラナックス錠 1錠
眠前
ロヒプノール錠2 1錠
頓服
ロシゾピロン 1錠
僕の場合、セレネースが強すぎたので、のけて下さいと頼んだが、「これはもっと優しいから」とルバトレンに変えて貰った。
家事も仕事も夫婦助け合いながらこなしていこうと思う。
今年は地球温暖化の影響か積雪がまだない。
天気予報だと雪になっていた。
雪が降ると作業所は、お休みというのが恒例なのだが、ヘルパーはそういう訳にはいかない。
とりあえずチェーンだけは積んで走ろう。
理事長と大事なお客様もくるし、今日は頑張っていこう。
昨日はピアサポート北九州の仲間が心配して様子を見に来てくれた。
家と作業所と病院しか出てなくて、セルフヘルプミーティングにも半年以上出ていないだろうか。
午前中は、見学で新しい人も来てくれたし、仲間は多いに越した事はない。
孤立無援で生きてきた僕が、今、家族や仲間に支えられている事を実感する。
頑張らねばと思うのだが、頑張らないけどあきらめないというのが光田氏から頂いた言葉なので、無理せず、体調のいい時にピアサポート北九州や、新しい波に乗っかってみようと思う。
土日は妻も僕も、低空飛行。
何も無い一日でも、何かしらする事はあって、ただ寝てすごす訳にもいかず、事務仕事もはかどらず、疲れも完全に治った訳ではない。
しかし、再び一週間は始まった。
再び一日は始まった。
まてよ。一週間の初めは日曜からだっけ月曜からだっけ・・・。
とにかく歩き続けるしかない。
ゆっくりと、段差は無いか、障害物は無いか、道はまちがいないか、確かめながら、少しづつ目的地に近づいていく。
時に、間違えて引き返す事があってもいいじゃないか。左手を壁に当ててあるけば、迷路から抜け出せる。手を引いて歩いてくれるヘルパーも呼べばいない訳ではない。
でもなるたけなら自力で、自分の直感を信じて歩いていきたい。
今週は、長かった。毎日症状が出るので、あと、家事やら仕事やら、正直辛い一週間であった。
けれど、土日は妻の歯医者と、妻の母の面会(洗濯物交換に毎日行ってます)しか予定が無いので、今度こそ溜まっている事務処理を少しでも片付けたいところ。
普通に暮らしている人。生活苦しくないのかなぁ。皆楽しげに暮らしているように見えるけど、実は苦しみを抱えているんではないかな。とか妄想してしまう。
楽しい楽しいと思っていたら、案外楽しく暮らせるのかな。
楽しみが少ない。
「最近、楽しい事やってますか、やってないでしょう」と、以前理事長に言われた。
当たっている。
心の底から楽しめない。
喜怒哀楽は、自然と生まれるが、コントロール出来るもの。そのコントロールがうまくいかないのが、そもそも病気。
だから毎日何種類もの薬を飲んでいる。
薬だけに頼らずに、意識して、バランスを保とう。
午後になって、きついアカシジア。
すぐに、頓服を飲んだが、昼食直後なので、効かない。何とか作業所が終わるまで我慢して、病院に行って、アキネトンの注射を打ってもらった。
前日、眠かったのでいいやと思いロヒプノール2錠を飲まずに寝たのがまずかったのか、市販の風邪薬を飲んだのがまずかったのか、原因ははっきりしないけど、ちょうど給与計算とかお金の工面とか、妻の歯医者とか、妻の母の入院とその面会とか、色々なストレスの積み重ねだと思う。
少しずつでも、ほぐして行かなければならない。お金の問題が無ければ、即任意入院という所まで追い込まれていた。
結果として今朝は普段通りだから、良かった。
全ての物事や出来事に意味がある訳ではないが、象徴として、意味を考えることがよくある。結果としてどれひとつ欠けても今の状況は、今と異なるのだから、良い方向へ持っていくのは、慎重に考えてから行動に移すべきである。
ジェットコースターと同じく、途中下車は許されないから。
苦しみを快楽にする方法
2007年1月24日 日常人生をゲームとして楽しむ。
負ける事もあるが、勝つ事もある。
ゲームの大方のルールは、法律やら道徳やらで決まっている。
苦境に立った時に、どう行動すべきか、経験や勘や他のプレイヤーの助言をもとに、最終的判断は、自分が下す。
いつも何かしら課題を抱えている。
しかし、その困難を楽しむ。
流されているだけでも楽しいゲーム。
でも、ジェットコースターは、もうこの病気になってからは、怖くて乗れません。